座談会:講演5 政策視点・消費者視点からのコメント2(「電力の価値」を創造するエコシステムの構築)

2023/10/30

永田 晃也(九州大学)

 永田です。私は研究・イノベーション学会のメンバーとして参加しているわけですが、普段は九州大学のビジネススクール(MBAの学位を出す専攻)で教育を担当し、「イノベーション・マネジメント」などを教えています。また、全学の教育プログラムの中で、科学技術イノベーション政策に関する講義なども担当しております。今日は私自身のバックグラウンドである、イノベーションに関するマネジメントと政策の二つの観点から、前半のご講演で提示いただいた論点に関連するコメントを申し上げたいと思います。
 このような学会の共催イベントが開催されるに至ったのは、おそらく電気学会の皆さんの中で、社会科学の研究領域との連携の必要性を感じる機会があったからではないかと推測しています。そのことが「電力の価値」を見直すという今回の問題提起に関連しているとすれば、それは大変意味のあることだと思います。と申しますのも、社会科学というのは大きく言えば人間にとっての何らかの価値に関する学問であるといってよろしいかと思うからです。経済学というのは言うまでもなく、経済的な価値に関する科学ですし、法学というのは正義という価値に関する学問だと言っていいと思います。ですから、いま改めて電力の価値について考えるというイベントに参加するに際しては、社会科学に関わってきた者として重要な論点を提示いただいたと思っています。

 そこで、私自身はこれまでの自分の研究の中で、電力事業を本格的に取り扱ったことは無いのですけれども、せっかくの機会ですから、「電力の価値」というのは、どういう特徴を持つのだろうかというところから考えてみようと思ったわけです。一つ言えることは、電力というのはそれ自体が最終消費財としての価値を持つと同時に、多様な財・サービスに対する「補完財」としての価値を持っているということだと思います。電力がなければ稼働しない財・サービス、電力が補完的な役割を果たすことによって機能する財・サービスは、非常に世の中に多いわけです。こう考えてまいりますと一つ思い出されるのは、エベレット・ロジャース(Everett M. Rogers)というイノベーションの普及学に関する大家が、”Diffusion of Innovations”(邦題『イノベーションの普及』)という著書の中で、価値創造の観点からイノベーションを2つのタイプに分類していることです。一つは、予防的なイノベーションと呼ばれるもので、この例としてロジャースは、感染症を予防するための衛生用品とか、地雷を除去するための技術といったような、近い将来、発生する可能性のある望ましくない状況を回避するという形で価値をもたらす技術を挙げています。他方、これと対峙させる形で、増進的なイノベーション、価値を増進させるイノベーションというものを挙げているわけです。この観点から見ると、おそらく電力システムにおけるイノベーションというのは、多くの場合、予防的イノベーションに属するものかと思います。そのお陰で私たちは日常、電源がいかなるものであれ、またどのような供給主体によって提供される電力であれ、電力は電力として区別せず、それが安定的に供給されることがごく当たり前であるかのような認識のもとで、生活をしているのだろうと思います。その意味で、電力システムに関する多くの技術革新は、基本的には予防的な価値を生み出しており、その重要性が、なかなか消費者の側には認識されにくいような性質をもっているイノベーションではないかと思います。他方で、電力システムにおいても、価値を増進させるイノベーションというのはあり得るわけです。それは、電力が財・サービスとの新結合を達成したときにもたらされると思います。新結合というのは、シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)が言うところのイノベーションの本質的な定義に当たるものです。電力システムにおける新結合は、決して新しい現象ではなく、おそらく電力というものは何らかの財・サービスとの新結合を達成するたびに増進的な価値を我々にもたらし、それがやがて社会に広く普及すると、予防的なイノベーションが重要な意味を持つものになるといった経路を辿ってきたのではないかと思います。そのもっとも古い例に関しては、ロン・アドナー(Ron Adner)というイノベーション・エコシステムの研究者が述べています。アドナーによれば、「電球」は確かに奇跡的な発明だったけれども、電力システムが普及しなければ、何物でもあり得なかっただろうというわけです。

 このように、財・サービスと新たに結びつくことによって、電力は増進的な価値をもたらす可能性があるわけです。このシンポジウムでフォーカスされておりますEVは、その新たな事例に当たるものだろうと思います。電気自動車というのは、電力が自動車に対して補完財となった製品だと言うことができると思いますが、このように従来存在しなかった産業の枠を超えた補完関係を成立させるコミュニティが、ビジネス・エコシステムとか、イノベーション・エコシステムという言葉で捉えられてきました。この言葉は、90年代にインテルのようなエレクトロニクス関連企業の中で、イノベーションがもはや一社単独ではできない世界になってきたのだという切実な問題意識に基づいて使われ始めた言葉だと言っていいと思います。企業は特定の産業のメンバーとしてではなく、従来の産業の枠を超えたコミュニティのメンバーとしてのみイノベーションを遂行することが可能であるような世界に、我々は立ち至っているのだという認識を背景にしているのです。EVは、電力事業と自動車業界とが業種の枠を超えて連携し、新しい社会システムを作ることによって成立するイノベーションだと思います。
 先ほど大橋先生のご講演の中で、多様なステークホルダーを巻き込むような世界が展望されました。そういう世界は、まさにエコシステムを意味しているわけです。下村先生が最後に提起された新しい社会システムをどう作っていくのかという問題は、まさにこういう問題に他ならないだろうと思われるわけです。それゆえ今日、政策担当者や政治家の間では、エコシステムをどう構築するかということが極めて重要な政策課題として喧伝されるようになってきました。そのために、やや流行語のように使われているきらいがあるわけですが、決してエコシステムを作ればガラガラポンとイノベーションができるという話ではないのです。エコシステムの中でしかイノベーションが実現できないということは、きわめて厳しい世界であるということを意味しているわけです。

 この点に関してもアドナーは面白い問題提起をしています。イノベーション・エコシステムの中で生きるということには、多くのリスクが伴うのだということです。二つの典型的なリスクが挙げられています。一つは、コーイノベーション・リスク。イノベーションの成功が、自社だけではなく、補完財を提供するパートナーのイノベーションに大きく依存してしまうということです。補完財を提供するパートナーがイノベーションを実現してくれなければ、そもそも自社のイノベーションができないという事態に立ち至るということです。もう一つはアダプション・チェーンリスク。これは提案された価値を最終的なユーザー・消費者が受け入れてくれる前に、ビジネスパートナーがそれを承認し受け入れてくれなければ、そもそも最終消費者に価値を提供するチェーンが切れてしまい、イノベーションを実現できなくなるというリスクです。こういうタイプのリスクがあるということを、アドナ―はさまざまなケースを踏まえて説明しています。

 コーイノベーション・リスクについては、ノキアが世界に先駆けて初めて3G携帯電話を上市した時、3Gが可能にする多様なサービスを消費者が享受できるような、関連するソフトウェアや技術を提供する補完業者が成熟していなかったという例が挙げられています。そのため、ノキアの3G携帯が普及するまでには、当初の目標から6年も遅延が生じたとしています。ノキアの3G携帯が上市された当初は、アドナ―の言葉を借りれば、「道路がない世界でのフェラーリ」のような有様だったというわけです。アダクションチェーン・リスクの例としては、デジタル映画が挙げられています。デジタル映画については、かなり前からハリウッドの各スタジオが、その技術的な可能性に気づいていたし、大きな価値をもたらすものであることに注目していたわけです。ところが、最終的な消費者である視聴者に対して価値を提供するまでのプロセスで最大の問題になったのは、映画館にとって何のインセンティブもないことだったと言われています。デジタル映写機を導入するためには、巨額の設備投資を必要とするわけですが、それに対して各映画館主はインセンティブを認めていなかったということです。この問題を解決しなければ、デジタル映画は普及しなかったわけですが、それは一種の金融イノベーションを成立させ、映画館主に一定の補助金を給付する制度ができあがったことによって解決されたと言われています。イノベーション・エコシステムが支配する世界とは、このようにイノベーションを実現することが難しい状況になったと言うことです。

 最後に、アドナ―が注目したベタープレイスの事例を紹介しておきます。これは今日のシンポジウムの中でフォーカスされているEVの普及にチャレンジした事例です。ベタープレイスは、2007年にシャイ・アガシという起業家が立ち上げたベンチャー企業で、イスラエルなどにおいてEVの普及に取り組みました。電気自動車の普及に関しては、このスライドの冒頭に書きましたように、多様な課題があるわけですけれども、シャイ・アガシが行ったビジネスモデルは、これらの課題を紙の上では全て解決するようなビジネスモデルであるとして、アドナ―は強く期待していました。このビジネスモデルは、EVの普及を妨げる最も大きな要因であった充電に時間がかかるという問題を回避するために、バッテリーごとスタンドで交換させることによって、充電時間を削減するというものでした。しかし、これは結果的には普及しなかったわけです。このビジネスモデルの導入が最初に試みられたイスラエルでは、政府が地政学的にも石油に依存しない社会システムを作ることに対してコミットしていたために、多くの協力を得られることが期待されていたわけですけれども、結局のところ自動車を売ることに向けた支援しか行われませんでした。一方、課題の本質は電気自動車を売ることではなくて、電気自動車が走行できる新しい交通システムをつくり出していくことだった訳です。これを支援する政策が行われなかったということが、私は最大の失敗要因だったと思っています。

 アドナ―のイノベーション・エコシステムの概念図には、政策担当者や制度的な環境というものが一切記載されていないのです。つまり、アクター間のネットワークとしてしかエコシステムが理解されていない訳です。しかし、エコシステムの概念には、環境要因である政策的・制度的な要因を組み込んでおく必要があるだろうと私は思います。
 この点を踏まえて、最後に申し上げておきたいことは、ベタープレイスの失敗が我々に教えている政策的な支援のあり方です。新しい社会システムを作り出していくことが課題である時に、政策担当者は、それを立ち上げていくための支援には注力するのですが、むしろ一旦立ち上がったシステムを持続可能なものにしていくために、エコシステムの環境を整備していくことこそが政策の役割であるということです。そういう意味での政策的な支援を進化させていくことが、EVの普及に関しても課題になるのではないかということを申し上げておきたいと思います。ちょっと急ぎ足になりましたけれども、私がお話したいと思っていた点は以上です。ありがとうございました。